吉野直行さんと考える
「日本ではなぜ、預貯金以外の選択をする人が増えていかないのか」-
前編

−−慶應義塾大学経済学部名誉教授で、金融庁金融研究センター長を務める吉野直行さん。
金融審議会会長、アジア開発銀行研究所所長などを歴任し、経済学者の立場から日本の金融経済政策にも影響を与え続けています。
そんな吉野さんは、小屋さんにとって大学時代に所属したゼミの恩師。「理論と現場の経済を見る目を養う場」で鍛えられたという小屋さん。

「金融経済教育」が大きなテーマとなった今回の対談でも、どこか当時の先生と教え子の関係性が伝わってくる温かなやりとりが続きました。

日本ではなぜ、預貯金以外の選択をする人が増えていかないのか

吉野:今日はせっかく金融庁に足を運んでいただいたので、大枠の話からしていきましょう。昨日、ちょうど金融庁と日銀が一緒にやっている「金融教育推進会議」の報告会がありました。

小屋:それはどういった会議ですか?

吉野:金融庁金融研究センターに設置された「金融経済教育研究会」が2013年4月に取りまとめた「金融経済教育研究会報告書」を踏まえて、これから日本でどういう金融経済教育を行っていくかを話し合っていく場です。

小屋:なるほど。

吉野:その会議に出ていて改めて感じるのは、日本の資金の流れはこの30年、基本的に変わっていないな……ということです。
というのも、私は1990年に財務省で「資金の流れ」の勉強会を始めました。そのときテーマの1つとして扱ったのが、「日本では個人の資産の大半が預貯金で占められ、そのお金が他の金融資産に向かわない問題」でした。

小屋:ちょうどその頃、僕は大学で吉野先生に日本の経済を教わっていて、資金循環や財政投融資の話を熱心にしていただいたのを覚えています。

吉野:懐かしいですね。あれから30年たち、個人で株式投資を始める人も増えましたが、今も日本の資金の流れは銀行預金が中心です。
まさに小屋さんがさまざまな業界の方と対談を続ける理由の1つとして挙げていた「日本人はなぜ運用を始めないのか?」という疑問そのものの状況があります。では、なぜ預貯金以外の選択する人が増えていかないのか。その理由は、大きく分けて2つあると考えています。

1つ目は、金融経済教育の不足です。

私自身、子どもの頃、金融経済教育を受けたことはありませんし、それは今の30代、40代の方々も変わらないと思います。
現在は金融庁が中心となって小中高での金融経済教育を推進していますが、教える学校の先生も株式投資や投資信託の経験のない方がほとんどです。となると、いくら指導要領を読み込んでも子どもたちに本当のところが伝わっていきません。
また、大学入試で金融経済の問題が出題されないため、中高生はなかなか勉強する動機が持てずにいます。入試と関係ないなら後回しに……となってしまうわけです。

小屋:なるほど。でも、金融経済は生きていく上でとても大切な知識ですよね。

吉野:「試験に出る、出ない」ではなく、学校を卒業して、就職し、住む場所を探し、結婚を考え、子どもの養育費や老後の生活費を準備し……と、金融経済教育はライフサイクルのすべて関わってきます。
しかし、小中学生に聞くと、就職はまだまだ先の話だし、両親からお小遣いをもらっているだけだから現実味を持てないと言うんですよね。たしかにそのとおりではあるんですが、じつは学校で教わらなければ、卒業後に中立的な意見を聞きに行ける場所がないという問題もあります。

小屋:と言いますと?

吉野:たとえば、働く世代に「自分の生活設計、これからの資産運用について、どこに相談しますか?」と聞いたアンケートで、一番目に挙がるのが金融機関なんですね。特に預貯金のある銀行の窓口です。

小屋:そういう意味での中立的な意見が聞ける場がないということですか。

吉野:金融機関の方に対して失礼な言い方になるかもしれませんが、基本的に窓口で働く方々は自分たちの商品を中心にした説明をされます。銀行は銀行が扱う商品、証券会社は証券、保険会社は保険。なかでも日本人の多くは資産運用を考えたとき、まず銀行の窓口に行き、担当者からコンサルティングを受けます。
すると、どうしても銀行中心の説明となり、窓口で販売している投資信託を勧められます。一般の方が金融全体を見たプロから公平な説明を受けにくい。これが預貯金以外の選択する人が増えていかない2つ目の理由です。

小屋:本当は私たちのような独立系のファイナンシャル・プランナーが、中立的な立場からアドバイスできる機会が増えていくといいのですが……。

吉野:まだまだ日本では、ファイナンシャル・プランナーを使う個人は本当に資産のある人だけです。コンサルティング料が高いイメージもあり、一般のサラリーマンには敷居が高く、無料で相談に乗ってくれる身近な金融機関の窓口に向かいます。
すると、本人に最適と言えない株や投信を勧められ、損をすれば「投資は怖い」というイメージを持つことに。同じことは、個人事業主や中小企業の経営者にも当てはまります。せっかく本業で増やした預貯金を不用意な運用で減らしてしまうといったことが起きています。
ファイナンシャル・プランナー協会に要望したいのは、一般の働く人向けに安価なコンサルティング料で中立的なアドバイスを伝えるような仕組みを作っていただきたい。これも広い意味では、金融経済教育ですからね。

小屋:学校での金融経済教育を進めること、社会に出てから金融経済について中立的な意見に触れる機会を増やすこと。この2つが運用を始めやすい環境を作るためにも重要なんですね。

金融経済教育に力を入れていかないと、日本の経済そのものが沈んでしまう

吉野:ちょっと別の話になりますけど、日本人がこれだけ貯金をするようになったのには、郵便貯金が深く関係しています。じつは江戸時代が終わった後、明治初期の日本人の貯蓄率はものすごく低かったんですね。
武士の時代、金銭の損得について口にすることは良くないこととされていて、貯蓄も推奨されるものではありませんでした。しかし、明治に入り、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島密が国民に貯蓄思想を広め、経済を回していく必要性があると考えたわけです。
そこで彼は小学校の道徳教育で貯蓄の大切さを教えるよう働きかける一方、郵便貯金制度や簡易保険制度を整え、郵便局員が学校を回って子どもたち一人ひとりに通帳を作る運動を広げていきました。

小屋:そうなんですか。

吉野:毎月一銭ずつ貯金してもらうようにし、1年間で十二銭、6年間で七十二銭。子どもたちは肌感覚で貯蓄の大切さを知り、家庭で親に「貯蓄は重要なんだ」と話すようになっていくわけです。
今度は親たちも郵便貯金に口座を開くようになり、合わせて保険にも入るようになっていきます。

小屋:郵便局の簡易保険ですね。

吉野:その頃、日本の生命保険会社は農家や中小企業に勤める人たちに生命保険を提供していなかったんですね。公務員と大企業の勤め人が対象でした。その点、郵便局の簡易保険は農家や中小企業に勤める人たちに向けに作られ、全国津々浦々へと広がっていったわけです。
こうした歴史を知ると、改めて小中高での金融経済教育の大切さを感じます。
子どもたちに教えれば、いずれ彼らが家庭で「お父さん、投資について銀行へ聞きに行くと言っていたけど、中立的な立場の人に聞いた方がいいと学校で習ったよ」と言ってくるかもしれません。
老後資金について考える祖父母に「ファイナンシャル・プランナーに相談してみたら」と孫の立場でアドバイスしてくれるかもしれません。

小屋:うちに相談にいらっしゃるお客様、特に高齢の方は子どもたちから勧められてというケースは増えています。

吉野:世界的に見ても高水準にある日本の個人貯蓄は、まさに子どもたちが小学校で勉強したところ、郵便貯金の通帳を持ったところから始まり、それを見たお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんにも広がっていったわけです。
同じことを金融経済教育でも目指していきたいですね。

小屋:たしかに、小さい頃から金融経済教育を始めることは、1つの突破口になりますね。

吉野:今後は指導要領の改定によって、少しずつ教科書にも金融経済に関する項目が入っていくはずです。ただ私たちとしては、金融経済教育の重要性を一般の方々に認識していただき、ご両親から教育の現場に「もっと金融経済について勉強をしなくてはいけないのではないですか?」と働きかけていくような状況も作っていきたいと考えています。
日本経済が成長していた時代は、将来の所得は増えていき、預貯金のみの運用でもよかったと思います。しかし、超高齢化社会に向かっていく今の状況では、蓄えた資産をいかにうまく運用するかが、個人にとっても、国にとっても重要です。
ここで金融経済教育に力を入れていかないと、日本の経済そのものが沈んでしまいます。子どもたちが自分たちで資産運用をやってみて経験を積むことで、仕事をし始めた頃にはグローバルな運用も考えたいと思うようになるかもしれません。
そうやって個人がスキルを磨くことで、金融機関もより良いサービスを提供する必要に迫られます。
健全な競争が起これば、自ずと「ここのアセットマネジメントの会社は収益率が高い」と評判も出て、本当にいい運用をする企業、人のところに資金が回るようになるでしょう。

後編へつづく