イベント司会者日本一を目指して。フリーアナウンサー青木源太さんに聞いた、仕事とお金のはなし – 前編 イベント司会者日本一を目指して。フリーアナウンサー青木源太さんに聞いた、仕事とお金のはなし – 前編

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イベント司会者日本一を目指して。フリーアナウンサー青木源太さんに聞いた、仕事とお金のはなし – 前編


UPDATE 2024.09.10

イベント司会者日本一を目指して。フリーアナウンサー青木源太さんに聞いた、仕事とお金のはなし - 前編

「趣味は『美容』と『投資』です。この2つには意外な共通点があるんですよ!」
対談が始まる前の立ち話で、現場にいたスタッフ一同を「どういうことだろう?」と惹きつけた青木源太さん。
慶應義塾大学を卒業後、2006年にアナウンサーとして日本テレビへ入社し、巨人戦や箱根駅伝などのスポーツ実況を始め、『PON!』『バゲット』『火曜サプライズ』のMCを経て2020年9月に独立、現在はフリーアナウンサーとして活躍中です。
今回は「日本一のイベント司会者」を目指している青木源太さんのキャリアに対する考え方、2008年から始めた株式投資への取り組みについて語っていただきました。

 

対談者プロフィール

  • 青木源太

    青木源太(あおき・げんた)

    フリーアナウンサー

    1983年生まれ、愛知県岡崎市出身。2006年にアナウンサーとして日本テレビへ入社。巨人戦や箱根駅伝などのスポーツ実況を始め、『PON!』『バゲット』『火曜サプライズ』のMCなどを担当した。現在はフリーアナウンサーとして関西テレビの情報番組「旬感LIVE とれたてっ!」のメインMCを務める。
    また、「日本一のイベント司会者」を目指し、年間約100本を超えるイベント司会を担当しており、その他防衛省広報アドバイザー、愛知県岡崎市観光伝道師など様々な広報活動にも従事している。

    <SNS>

  • 小屋 洋一 (聞き手)

    小屋 洋一(聞き手)

    株式会社マネーライフプランニング(公式サイト) 代表取締役

    1977年宮崎県生まれ、東京育ち。2001年慶應義塾大学経済学部を卒業し、総合リース会社に入社。中小企業融資を担当した後、
    2004年不動産流通業を行うベンチャー企業に転職。営業、営業企画等を経験し、2008年に退職。
    同年にAFPを取得後、独立し、個人富裕層のアドバイスに特化した株式会社マネーライフプランニングを設立。
    2010年にCFP®を取得し、現在に至る。

    <所属・関連団体>

    <SNS>

 

「超」のつくテレビっ子が、史学科を経てアナウンサーになった

小屋青木さんはどちらのご出身ですか?

青木源太さん(以下、青木)愛知県の岡崎市です。父親が転勤族だったので、千葉や湘南の藤沢など、けっこう転々としていました。

青木さんの話している様子

小屋大学は慶応なんですね。

青木親はそのとき大阪だったので、僕は東京で一人暮らし。毎日ワクワクしていましたね。

小屋文学部というのが意外な感じでした。

青木高校の担任の先生が世界史を教えていて、その授業を通じて歴史ってすごくおもしろいなと興味を持って、そのまま史学科の西洋史学専攻に進学したんです。

小屋ちょうど前回のこのコーナーで、「国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯」などの著作がある作家の板谷敏彦さんと対談したんですが、「投資をする上でも歴史を学ぶことは大事だよね」という話になりました。

青木よくわかります。やっぱり歴史はくり返しますから。でも、それを自分の投資の判断に活かせるかは、また別の話になってきますよね。

小屋たしかに。ところで、西洋史を学んでいた青木さんがどうしてテレビ局に入り、アナウンサーになったんですか?

青木そこは学びとは違う背景がありまして。僕は元々「超」のつくテレビっ子で、特に歌番組が大好きだったんです。現在も続いている『ミュージックステーション』、石橋貴明さんと中居正広さんが司会をしていた『うたばん』、ダウンタウンさんの『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』。90年代、00年代の歌番組をずっと見てきました。そうしたら、大学に入ってすぐにテレビ朝日でアルバイトできるチャンスが巡ってきたんです。

小屋現場の仕事ですか?

青木『朝まで生テレビ』という番組のAD業務で、出演者にお弁当を配ったり、台本をコピーしたり。いわゆる雑用だったんですが、それでも楽しかったですね。ちょっとテレビの裏側を覗いてみようくらいの気持ちで始めたのに、それから3年間、楽しいままで続けられました。・・・ということは、この業界に向いているのかな? と考えて、就職活動はテレビ局を受けたんです。
縁あって日本テレビのアナウンサーとして採用になりましたが、僕はアナウンススクールに通っていたわけではないので、専門的な勉強は入社後にやりました。でも、もしアナウンサー職で落ちていたら、制作職でもう一度受けるつもりでした。

 

37歳で独立、フリーアナウンサーに。イベント司会で日本一になりたい

小屋日テレでは何年間アナウンサーをされたんですか?

青木14年半です。その間、箱根駅伝の実況や巨人戦実況などのスポーツ中継もやりましたし、ニュース、情報番組、バラエティも経験して、日テレ時代はバランスよくいろんな番組を担当させていただきました。

小屋ということは30代半ばぐらいで独立されたんですね。

小屋さんの話している様子

青木37歳でした。

小屋一般的に会社員をやめて独立するときは、不安や恐怖もあるように思いますけど、そのあたりはどうでしたか?

青木じつはそれほどなかったですね。「フリーになって仕事があるか不安にならなかったんですか?」とよく聞かれますが、日テレ内でも競争は激しいですし、外に出た方が仕事は多いんじゃないかと思っていました。
そもそも日テレにいたら、日テレの番組にしか出られませんから。編成表には限りがあり、番組が無限にあるわけではない。その枠を60人近いアナウンサーが競っているという見方をすると、なかなか厳しいですよね。毎年、若いアナウンサーも入ってきますし。

小屋安定したお給料はもらえるけれど……。

青木日テレにいれば安泰で、外に出たら危ないというものでもないと思います。それにアナウンサーとして日テレでやりたいことは十分にできたという実感もありました。だから、外に出てチャレンジしようと思ったんです。

小屋どんなことをやりたいと思っていたんですか?

青木僕はイベント司会で日本一になりたいんです。1つの企業のイベントにじっくり関わること、これは日テレの局アナ時代にはできなかったことです。企業の新製品発表会、社内表彰式、新作映画の舞台挨拶など……依頼はさまざまですが、クライアントの要望、意図を汲んで、考え、叶えていくというのはすごくやりがいがあります。
ただクライアントの要望を全部聞いたからといって、いいイベントになるとも限らないんです。会場に来ているお客さんも楽しくなければいけませんから。
例えば、映画の舞台挨拶はマスコミが取材に来ますよね。こちらとしては映画をPRしたい。でも、マスコミは登壇している俳優さんたちのプライベートのコメントも取れないと満足してくれない。異なる利害を持つ人たちが、それぞれに満足しないといいイベントとは言えませんよね。
そこのバランスを取っていくのが司会の仕事で、難しくもあり、やりがいを感じているところです。

 

50歳までに1000本のイベント司会をやるのが目標

小屋日テレ時代からイベントの司会に向いている、という感覚があったんですか?

青木僕はアナウンサーの仕事を大きく5つに分けていまして、報道情報番組、バラエティ番組、実況も含めたスポーツ番組、ナレーションなどの声だけの仕事、それから5つ目がイベントの司会です。
日テレの門を叩いたときは、情報番組をしっかりとやりたいと思っていましたが、続けているうちに、イベント司会の引き合いが一番多くなっていったんです。局が出資している映画の舞台挨拶や、他の企業との協賛イベントなど、独立前の5年間はアナウンス室で最も多くイベントの司会を担当していました。

小屋なるほど。

青木何回もオファーをいただけるということは、自分に合っていたんでしょうね。よくサラリーマンは強みを見つけろという話になりますが、それは成果から逆算するしかありません。アナウンサーになったときは、イベント司会がこんなに楽しく感じられて、自分に合っているなんてわからなかったですから。
14年半も局アナをしていると、情報報道の世界ではあの人には敵わない、ナレーションはあの人が一番、スポーツ実況はあの人がすごい、という才能が見えてきます。そのなかでイベント司会なら自分もいけるんじゃないか、その道を極めたいと思うなら日テレに残るよりも、フリーランスになった方があらゆる司会が経験できるだろう、という思いもあって。
イベント司会で関係者の異なる利害をうまく調整できたとき、それは次のオファーにつながります。同じクライアントさんから「またやってください」と言われるのが一番うれしいですね。これはサラリーマン時代との大きな違いです。

青木さんの話している様子

小屋独立を含め、キャリアについて誰かにアドバイスをもらったり、先輩に相談したりといったことはあったんですか?

青木羽鳥慎一さんですね。アナウンサーの師匠であり、羽鳥さんは2011年にフリーになっているので日テレ出身のフリーアナウンサーの先輩でもあります。その羽鳥さんから独立前に「立つ鳥跡を濁さずで、揉めずにちゃんと話し合っていい形で出なさい」と言われました。
そのアドバイスを受けて、局とは1年近く話し合って独立しました。もう1つ、言われたのは「マネジメントしてくれる人がいた方がいい」ということでした。フリーランスになるとき、事務所に入らない選択肢もありますが、僕は事務所に所属させてもらって、今に至ります。
これは小屋さんのような資産運用のアドバイザーの力を借りるのと同じで、その方が本業に集中できるから。周辺の交渉事は任せて、僕はイベント司会に専念する。餅は餅屋です。

小屋フリーになって4年経ちますね。今どう感じていますか?

青木この働き方が合っていると思います。その仕事を引き受けるか、引き受けないかを最終的に自分でジャッジできるのがいいですね。日テレ時代も上司がちゃんと面談して、自分の志向、やりたい方向性をくみ取って仕事をさせてもらえる恵まれた環境でしたけど、会社員である以上、ノーが言えない場面は必ずあります。その点、やる、やらないを自分で決められるのは、自分のスタイルに合っていると感じます。

小屋今後の目標はありますか?

青木50歳までに1000本のイベント司会をやることです。今、約300本なので、あと9年で700本。関西で帯番組『旬感LIVE とれたてっ!』をやっているので少しペースは落ちていますが、なんとか達成したいです。

後編へつづく

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